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森川如春庵について

バーナード・リーチ筆

森川如春庵画像

昭和41年 名古屋市博物館蔵

 

 

森川如春庵ってどんなひと?


 森川如春庵(1887-1980)は、一宮の素封家の家に生まれ、十六歳の時、茶会で眼にした光悦の「時雨」を祖父にねだって手に入れ、三年後には、同じく光悦の「乙女御前(おとごぜ)」も手に入れています。十代で二つも光悦をもった如春庵、その後も、「佐竹本三十六歌仙絵巻」の切断の際にはくじ引きで一番の柿本人麻呂を引き当てるという強運でその名を轟かせ、「紫式部日記絵詞(えことば)」の発見者とされています。

 

 

 

 

 

 

如春庵が手に入れた黒楽茶碗「時雨」とは・・・・。

 

もっと詳しく

 

 

名古屋市博物館HPより

本阿弥光悦(ほんあみこうえつ 1558~1637)の手による、黒楽茶碗中屈指の名作である。ろくろを使わず手づくねにより成形された半筒形の茶碗で、腰になだらかな丸みを持つ。

 

口縁はわずかに外側に開き、上端の縁の面は平らに作られている。底部には輪形の高台が低く削り出されており、焼成の際の窯道具の目跡が五つ残っている。器壁は薄く作られ、手に取ると軽やかな感触である。付属する内箱の蓋表には、京都・曼殊院の29世門跡(もんぜき)・良尚法親王(りょうしょうほうしんのう 1623~93)の筆と伝えられる「時雨(しぐれ)」の箱書きがある。

 

黒く艶(つや)のある釉薬がかかる場所と素地を露出する部分の変化に深い味わいがあり、その様子を秋から冬にかけて降ってはやむ気まぐれな雨、時雨にたとえてこの銘をつけたとみられる。

 

作者の光悦は京都に生まれ、刀剣の研磨(けんま)・手入れ・鑑定を家業としつつ、書・漆芸・陶芸にも秀で、多彩な芸術活動を行った人物である。楽家の二代常慶(じょうけい 1561~1635)、三代道入(どうにゅう 1599~1656)と交流があり、その協力のもと独創的な楽茶碗を焼いた。

 

 

本作は三井家に伝来し、平瀬家、戸田家、尾州久田流宗匠・下村西行庵(1833~1916)のもとを経て、一宮市の素封家、森川勘一郎(号・如春庵 にょしゅんあん、もしくは、じょしゅんあん 1887~1890)の愛蔵品となり、その後名古屋市に寄贈された。
 
如春庵は当地を代表する茶人、美術品収集家として知られ、書画や和歌・俳句・作陶をたしなむ文化人でもあった。益田鈍翁(1848~1938)、原三渓(1868~1939)といった当代一流の茶人たちと親密な交遊を持った。明治36年(1903)6月1日、如春庵は茶道の師であった西行庵の茶会に招かれ、「時雨」に出会った。すぐに養父に頼んで、その年の12月に買い求めてもらったと伝わっており、
 
本作は記念すべき如春庵の最初の美術収集品となった。わずか16歳で本作を所望した如春庵の早熟な感性には、驚くべきものがある。実際、如春庵旧蔵品には重要文化財を含む数多くの優品が名を連ねており、その鑑識眼と趣味の高さがうかがい知れる。如春庵は美術品とはひとつのところに永年にとどまるものではなく、愛でる人々の間で行き来するものだと捉えていたため、後年手元を離れた名品も少なくないが、最愛の品であった本作は最後まで大切に手元に残された。本作をはじめとする如春庵旧蔵品のうちの188件211点は、昭和42年(1967)~43年(1968)に寄贈され、現在「森川コレクション」として当館で収蔵・活用されている。(五味良子)
 
重要文化財 本阿弥光悦作 江戸時代前期(17世紀)  高8.6cm 口径12.4cm 高台径5.1cm
 
 
名古屋市博物館 刊行図録  『茶人のまなざし森川如春庵の世界』

如春庵のことをもっと詳しく・・・

2009年淡交増刊号『茶会記を引用させて

いただきました。

ご覧ください。    

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